2017年10月03日

東京の名木を旅する

名木…
それは長い長い年月を刻んできた老木であったり、ときに偉容をほこる巨木であったり、はたまた、さまざまな伝説や「いわれ」をまとっていたり。生きてきた証を我々に見せてくれている木です。

8月に刊行されました技術評論社刊『東京名木探訪』。
私が撮影をした本で、植物学者 近田文弘先生、編集さん、デザイナーさんとともに都市部から奥多摩の山地まで、東京の名木をめぐり探し、そして出会った名木の数々を紹介しています。

最初は、都内を移動しながら散歩気分で撮影を……というオーダーだったのですが、
まあまあ、自然相手でそんなにうまくはいかないもの。
取材日に天候がいいとはかぎらず、花や葉の出がベストとはかぎらず。
特に撮影が集中した昨年は天候も不順で、取材班とは別に何度か通って撮影を行いました。

この本にたずさわって、いろいろ調べてみると、やはり自然豊かな場所の方が巨木は多いのです。
しかし東京の木はさまざまな人間や歴史とふれあう機会が多かったため、エピソードや、その樹木の生長の中で起こったことの記録が豊富ということがわかってきました。

木は人間より長い長い寿命をもち、生活史も私たちとは全く異なっています。
人との関係、物語、いわれ、何より樹木の生き様は、植物としてのおもしろさ、生物としてのたくましさ、歴史の奥深さを知ることができ、その生きてきた道のりを知るのはとても楽しい経験でした。

とはいえ東京は、樹木にとっては生きづらい側面もあります。
この本の制作時でも、さまざまな理由ですでに枯れてしまった木、切られてしまった木、終焉を迎えようとする木がありました。この本は、物言わずともたくましい生命を感じさせ、そして生物であるからには終わりもある樹木たちの記録と記憶でもあるのです。

樹木の世界をのぞいてみたい方々に。
そして樹木に親しむ全ての方に。

http://gihyo.jp/book/2017/978-4-7741-9108-9

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2017年01月30日

哺乳類ならおっぱいのことをもっと知るべきであ〜る

賢明かつ知的好奇心に満ちあふれた
このブログの少数精鋭の読者のみなさまなら
もちろんご存じのことと思いますが、
おっぱいって、哺乳類しか持っていないんですよ。

無脊椎動物はもちろんのこと
脊椎動物だって両生類も、爬虫類も、魚類ももっていません。
哺乳類と同じ温血動物の鳥類だってないのです。
これ、とてもふしぎなことだと思いませんか?
哺乳類はいつどこでおっぱいを手に入れたのでしょう。

ある哺乳類の祖先が、朝起きて自分のおなかのあたりに
おっぱいが出現していることに気づき、
おどろきとともに、子どもたちを呼び寄せ、
「ほら、試しにのんでごらん」
と言ったのがはじまりです。なんてことはないのです。

進化はときに爆発的な変化や伝播を見せはするのですが、
さすがにそこまでではありません。
よく考えてみると、おっぱいのこと、
哺乳類にはこんなに大事な存在なのに知らないことがいっぱいです。
牛乳一つにしたって、なんで白いのかとか
中にどんな成分が入っていて、何が赤ちゃんの栄養になるのとか
知らないことだらけ。
おっぱいが赤ちゃんを守っているなんてことも
なんとなーくしか把握しておりませんでした。

哺乳類の一員として、
それではいかんのではないかな……

そこで
そんなおっぱいに秘められたたくさんの秘密、
そして哺乳類がどのようにおっぱいを獲得してきたのか、
その進化をお乳の側から解き明かそうと試みたのが
技術評論社より刊行の『おっぱいの進化史』です。

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ほかにも、我々はほかの動物のおっぱいもいただいてしまっているわけですが、
その歴史とか、おっぱいを利用した食品と密接に関わっている乳酸菌のことなども
書かれています。

著者は
帯広畜産大学の浦島匡先生、福田健二先生
帝京科学大学の並木美砂子先生、動物園ライターの森由民さん
私もコラムをひとつ書いています。

箕輪義隆さんのわかりやすい挿絵が楽しいですし。
いぬんこさんのポップな装幀画
デザイナー椎名麻美さんのやさしいデザインもステキです。
ぜひ手にとっていただきたい一冊です。

この本の刊行により、日常で声を大にして
「おっぱい」と言える社会がやってくることを
切に望みます。
まずは、書店にて「おっぱいの進化史ください!」
と声を大にしてください。

哺乳類なら、おっぱいのことを もっと知るべきであ〜る。
どうぞよろしくお願いいたします。


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2011年01月23日

本と人、人と人との美しい出会い、その物語 『昔日の客』関口良雄

古書店には何か引きつけられるものがあります。
そこには、本との出会いがあり、掘り出し物を見つけた喜びがあり、昔買えなかった本に出会えるなどといった、ちょっと甘酸っぱい忘れ物を取り返したりする気持ちとか。
さらには古書店の店主というのは得てして、偏屈そうで近寄りがたいイメージがある物です(特にこちらが若いときには)。その雰囲気と、あの古書の独特のにおいが相まって怪しげに良いのです。

神保町や早稲田の古書街でなくても、町を歩いていて、ふと見つけた古書店にふらっとはいる。
そこで、陳列を見て、店主に同じ趣味性を見つけたらまたうれしくなります。
何か1冊。それが特に高い物でなくても、しばらく迷って店の奥へともっていく。
もしここで買わなければ次にいつ会えるか分からない。そんな小さな緊迫感。新刊の書店にはない、ドラマがあります。

店主と本を通してちょっとした会話になることもあります。
話が弾めばうれしいし、はずまなくても、金銭と物の交換だけでない良い買い物をしたという気持ちになります。

夏葉社さんから刊行されている『昔日の客』。
東京大森の古書店「山王書房」とその店主、関口良雄さんの、店に訪れる客や馴染みの人々との交流を綴ったエッセイです。

本という、特に古書という手に取るには多分に「縁」に左右される品物だからこそ産まれる人と人との物語は、読み応えのある短編小説であり、また本そのものにも物語があるのだと感じます。ある本の生涯の1ページをのぞき見ることができるのがうれしくもあります。
おそらくは、現代ではこの本にあるような心の通ったやりとりというのは希有なことだと思いますが、こうした良い関係の中で古書を手に取れることの幸福を心のどこかで望んでいる自分がいます。

この本を読んで、古書店の本に埋もれたカウンターの奥に謎めいていた古書店主たちが、私の想像の中で生き生きと動き出しました。また古本屋に立ち寄るのが楽しみになりました。


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実はこの本、32年ぶりの復刊です。
苗色の地に、墨色の手書き文字の題字の布表紙は美しく、裏表紙には山高登さんの版画が貼られた装幀は、手にとってうれしくずっと眺めてしまいます。
品の良いブックデザインという意味でも、いつまでも持っていたい、そして何度も読み返したい良書です。

夏葉社さんという出版社さんより刊行されました。
本のことをとても大事に考えていると感じられる出版社さんです。

http://www.natsuhasha.com/


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2010年12月10日

クリスマスツリー

街は、緑と赤と、金と銀に飾られ、
もうすぐクリスマスがやってくるのだと感じます。

今日は、アリス館から刊行の吉村和敏さんの
絵本『クリスマスツリー』を紹介します。
吉村さんが長年撮影されてきたクリスマスの写真で構成された絵本です。
待ちに待ったクリスマスがやってきた、海外の家々や町並み、クリスマスツリーの美しい写真がたくさんつまっています。

静かで美しく、厳かで、そして楽しげで。
日本の街の華やぎと、また少しちがうクリスマスがここにあります。

クリスマスのために用意したプレゼントに添えても喜ばれるきれいな本です。


アリス館より




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amazonに無いのでe-honとか全国書店で注文いただけます。
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2010年11月01日

禁断の魔書

禁断の魔書

世の中には、禁断の魔書ともいうべき書物が存在します。
この本の表紙をめくったが最後、その内容に取りつかれ、心にいつも苦悶の陰が落ち、眉間にしわは寄り、頭をかきむしり、仕事は手につかず、不安から眠ることもかなわず、家族間の会話は途切れ……という、それはそれはおそろしい存在なのです。

さて、半年ほど前にもBlogに書いているのですが、ネット上の雑貨&本屋さん、シトロンブックスさんが、阿佐ヶ谷のギャラリーcontext-sにてリアル店舗、リアルシトロンを期間限定で開店中との案内をいただいたので、出かけてきました。context-sさんは、民家を改築した(ほぼ民家そのままですが)ギャラリーで、おそろしく和むので、機会があると出かけていきます。

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センスのよい雑貨、良質な絵本が選ばれており、欲しいものがたくさんあるのですが、
そこで出会ったのがこの本。
フジモトマサルさん著「今日はなぞなぞの日」。

実は、前回のリアルシトロンでも見かけており、気にはなっていたのですが、今回やはり欲しい!とのことで購入しました。
それが、まさか…こんなことになろうとは……

この本こそが『禁断の魔書』だったのです。
魔界のものは、日常のすぐそばにあるものとは聞いてはいたのですが、自分の所にそのようなものがやってこようとは思いも寄りませんでした。

本のつくりは、なぞなぞから正解へとページは続いていくシンプルなものですが、フジモトさんが太い線で描く動物のイラストに、グイグイとなぞなぞ世界に引き込まれていきます。
なにより、このなぞなぞ、一筋縄ではいかなく、それなりのひらめきと語彙がないと解けません。
問題を読み、イラストをながめ、考え、正解するまでの流れが小さなドラマです。

昨日までに思考と単語の文字列のラビリンスを抜け、3問目で悶え苦しみ、寝る前に正解を出したときには喜びに打ち震えました。
さらに今日、4問目に突入した私は、さらなる魔道に落ちています。


「土木作業員の財布の紐がゆるみがちな場所はどこでしょうか?」


この答えを見つけたいものは、書店にてこの本を発注するがよい。
くっくっく。

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うー。なんだよう。
あー。わかんない。





平凡社より




リアルシトロンは
2010年10月29日(金)〜11月4日(木)
11:00〜18:00(最終日は〜17:00)
CONTEXT-S
杉並区阿佐谷1-47-4
03-3317-6206

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2010年09月25日

リスにおける電話の使用法及びその運用について

表題については、誰しもが一度は考える問題であろう。
その問題に明快な答えを出しているのが、
高橋和枝さん著『りすでんわ』である。


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我々現代に生きる人類は、多くが電話の運用については認識している。幼児さえ、携帯を見れば貸せ貸せと手を伸ばしてくるくらい周知されている存在である。
しかし、リスはどうか。彼らは電話を使ったこともなく(多分)、電話についての情報を得ようとしても、彼らはまだgoogleの存在を知らないのである(おそらく)。

リスたちは電話のなんたるかを想像し、実践する。
そこに優しくも楽しい物語が生まれる。
不便と、便利の間で「繋がり」が生まれる。


我々は情報の波の中で、何事も考えることなく、試行錯誤することなく事象について知ってしまう。それは、何か大きな楽しみを失っていることだと感じるのだ。


さらに、本書の『りすでんわ』というタイトルは、『かもなんばん』『ねこぱんち』と同様のロジックによるものであるが、その本質の部分は大きく異なる。もちろん江戸川乱歩著『人間椅子』とは、ある部分で対極に位置するということを申し添えておく。


対極といえば。

実はこの本、このような分けのわからない紹介文とは対極にある、子どもたちも、大人も楽しめる、かわいらしくてやさしい絵本です。
買ったらきっと、ふと思い出してときどき本棚から引き出して読みたくなることでしょう。
子どもたちが読んだらきっと、「子どものころに読んだ本」として大人になったときに思い出す本だと思います。





MOEの白泉社から。






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2010年08月31日

人は、なんになる?

『ボクは、なんにもならない』美術出版社
さとみ きくお (著), しんどうけいこ (イラスト) , いわきたかこ (監修)

何者かが何者かに食べられ、その何者かも、やがては何者かの食物になるという、自然界では決して途切れることのない環が存在しています。食物連鎖の頂点といえども、いずれは死に、他の動物や菌によって分解され、土に帰り、植物の糧となりという輪廻というべきサイクルに身を置いています。
しかし、わたしたちはどうでしょう?

この本では、人間だけは最終的に消費するだけの存在である。という観点から食べ物の大切さを伝えています。

もちろん、土葬や鳥葬にした方がいいんじゃない?
と、いう話ではありません。
食育というテーマながら説明的にならずに、イラストは洗練されつつメッセージ性にあふれ美しい本です。

この本の本筋とは違いますが、ふと思ったことは、これは人類のエネルギー消費にも言えるということです。
木材、石油燃料といったもの。確実に消費の量が多いのが現在の私たちの生活です。
直接的でなくても、便利な生活を得るために森林を切り開き、プランテーションをつくり、そこに住むさまざまな生物の生活の場を消費しつつ生きています。
人類が地球のバランスというパズルの失われた1ピースになるのか、何かを補ってパズルを完成させるのか、人は何になるのか?
そんなことを考えてしまいました。




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2010年08月26日

ただわが技術を売ってのみ、世を送っている

司馬遼太郎の最高傑作といえば、言わずとしれた『風神の門』です。
これに関しては、異論もあるかもしれませんが、本という物はそれぞれ自分のすきな物があれば良いわけで、みなが同じ意見という方がおかしなものです。まあ、へそが曲がっているだけなのですが^^;
ちなみに、「燃えよ剣」も好きなのですが、こちらはわりと好きって言う人が多いので置いておきます。(←完全に曲がってます)


この作品は『竜馬が行く』開始の前年の作品で、疾走感のある忍者小説であり、読みやすい娯楽小説です。
主人公は真田十勇士のひとり霧隠才蔵。霧隠才蔵は講談に登場する架空の忍者で、忍者の知名度で言うと、服部半蔵、猿飛佐助に次ぐくらいでしょうか。風魔小太郎くらいとか、飛び加藤や百地丹波よりは知っている方が多いのではないかと…(架空と実在の人物混交です。)
真田十勇士の中では、熱くアグレッシブな猿飛佐助に対して、腕は立つがクールで洒落者の伊賀者としてイメージづけられています。

舞台は、関ヶ原以降大阪夏の陣まで。
才蔵はこの時代の風雲に乗ろうと、自分でもはっきりとわからない「何か」を求め、表面上は冷静に内面は熱くもがいて生きていきます。
その間には、もちろん真田信繁(あえて)との関係や、猿飛とのからみなども、司馬先生独自の解釈で語られています。

才蔵の行動には「ええ!」と思うことも多いのですが、彼は何者にもしたがわず、自分の能力にのみ依って生きていくことを矜持として生きていきます。タイトルは才蔵の生き様をよくあらわしたシーンでの台詞です。

確か、この本を初めて読んだのは大学生の時。才蔵の生き方が妙に心に残り、それ以来何度も読み返したものです。その後僕は会社に所属するのですが、やりたいことがあると言ってやめることとなりました。
そして現在に至り、フリーランスで生きている自分を考えると、この本から影響を受けた部分や、将来の生き方というものを漠然と感じていた部分があるのではないかと思います。

つい日常に流されそうなとき、仕事に馴れてしまいそうなとき「ただわが技術を売ってのみ、世を送っている」この台詞は重く響いてくるのです。


もうぼろぼろ…

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2010年08月17日

船の本

船に、とりたてて強い興味があるわけではないのですが、帆船などを見るのは好きですし、フェリーでの北海道や九州への旅は良い思い出です。フィンランドで世界一大きなフェリーを見たときには、ちょっとした感動を覚えました。

そんな私なのですが、昨日古本市で入手したのはこの本、柳原良平著「船の本」(至誠堂)です。
柳原良平さんは、40代くらいから上の人ならサントリートリスウイスキーのキャラクター「アンクルトリス」というずんぐりむっくりのおじさんでご存じの方も多いのではないでしょうか。

もちろんすぐれたイラストレーターでデザイナーなので、本の装丁や絵本、その他あちこちで目にしているはずです。

柳原さんは無類の船好きで、船の本をたくさん書かれていますが、この本は1968年の初版、30代後半での著書になります。
船好きになるまで、船の歴史と船図鑑、船旅のすすめ、といった内容の3つの章に分けられ、「船キチ」が思いの丈を書きつづった本です。

さまざまなエピソード、知識、当時の最新情報(当時就航していなかったクイーンエリザベスのこととか)が、バランスの良い文章で綴られていきます。
船の歴史では、船側から見た歴史のエピソードなども書かれていて、歴史好きがその時代に思いをはせるのに新たな視点を盛り込む手助けになります。
船旅の章では、これまた船好きの視点から世界を見ていて、港のことや海洋博物館の話なども盛り込まれ、ガイドブックにはない世界を知ることができました。
もちろん柳原さんのあたたかみのあるイラストもたくさん入っていて、絵を見ているだけでも楽しめます。

好き者の書く本は、ときおり鼻につくものも多いのですが、この本はそのようなことはなく、知らない世界の魅力を楽しげに「ココを見て!」と熱く語られることで、何とはなしに引き込まれていきます。

この本の大きな魅力のひとつにブックデザインがあげられると思います。
横長の版型に横長の船のイラストが見る者の目に落ち着きを与え、そこにのせられた縦書きの文章は1行の文字数が少ないために読みやすく、絵巻物を見ているような楽しさがあります。
余白の取り方、ページ番号の位置、小見出しのたてかた、どれもこれも考えられた目と心に優しいデザインです。
蔵書としてうれしい1冊です。

本にはさまざまな楽しみ方があると思いますが、こうした良質のブックデザインにふれると、本のことも書かれた内容のことも好きになります。
情報の提供という役割だけを考えれば、本は文章内容と図版が見られればよいのですが、それ以外の一見、表に出にくい要素に限りない魅力と価値がひそんでいるものだなと実感します。

「自分の人生にはどうでもいい興味のないこと」が「ちょっと興味がある」に変わる瞬間が味わえました。
おそらくは、港で船を見る目も今後変わっていくことでしょう。

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2010年08月09日

SLIGHTLY OUT OF FOCUS

SLIGHTLY OUT OF FOCUS(少しはずれたピント)本のタイトルです。

邦題は「ちょっとピンぼけ」。ハンガリー生まれの報道写真家ロバート・キャパの著書です。
第二次世界大戦に従軍して撮影した戦場ドキュメンタリで、キャパは連合軍につきヨーロッパ戦線を撮影しています。
この本は、写真を撮るものには有名すぎるほどに知られている本ですが、写真のテクニカルな内容ではなく、心構えを説いた教書でもありません。
端的に言うと従軍カメラマンの手記です。なぜこの本がカメラマンのバイブルと言われるか、おそらくはキャパの職業カメラマンとして、一人間としての生き様が、読む側の心、写真の撮りように作用するのだと思います。おそらくは、カメラマンが率先して読むのでバイブルになっているだけでさまざまな人に影響を及ぼす力を持つ本だと思います。

先日池袋での古本市にでかけたときに、なにかないかと背を端からながめているときに、すりきれた古い表紙のこの本が目に留まりました。
あきらかに、自分が読んだ装幀とはちがうこの名作は、1956年初版のものの1957年の第四版、定価280円の古いものでした。出版社はダビット社。
1947年のアメリカでの出版から、およそ10年後に日本での出版になったものです。
この本には新旧があり、これは古い方のものです。1980年に出版された新しいものはDデイの写真が使われていますが、この本は写真家アンリ・カルティエ・ブレッソンの撮るキャパ本人の写真です。ブレッソンの写真というのにも惹かれましたし、最初に刷られた本で久々に読んでみるということに興をさそわれ買ってみました。
古い本ですし、あちこちすれや焼がありますが、本の持つ歴史がページに重みを加え、「めくる」という作業が楽しくも緊張したものとなります。
物に命があるとして、この本は長く生きてきました。傷のひとつひとつに歴史を感じます。こういった物が古くなること、古い物が持つ独特の雰囲気を手でふれること、そこから産まれる自分の中の心の動きを感じること、そういったことはとても大事なことだと思います。さらには本という物の大きな魅力のひとつといえます。


写真というものは写っているものは真実ではありますが、時間と空間のごく一部だけを薄いフィルムに閉じ込めてしまいます。その一瞬を切り取る性質が故に、時に本質というものを失いリアリティを無くすことがあります。
しかし、この本に載る写真は間違いなくリアルであり、リアリティのある写真です。

キャパはこの本の中で、死と隣り合わせ日々のことを、淡々と、時にはユーモラスに語っていきます。戦場という場のなかにいる「人間」「カメラマン」両側面からキャパを見ることができ、モノクロの写真とともに、その目が見た戦争というものの一側面を見事に捕らえています。この8月という時期に戦争というものを見つめるためによんでみるのも良いかもしれません。
写真という広い世界の中で、自分の撮った写真が意味合いを持つ写真であるために、たくさんのヒントが込められている。そんな本です。
そして、そのヒントは写真に向けてだけでなく、さまざまな職業や人生にとっても。

1954年、キャパはインドシナの戦場で、取材中に地雷を踏み亡くなっています。41歳でした。
ちょうど、今の自分の年齢です。

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この本の巻末には、なくなったキャパへの追悼のあとがきが寄せられています。読ませます。

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2010年08月03日

レレレの恐竜

あっついです!
皆様いかがおすごしでしょうか。

ちまたでは、朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が面白いと評判のようですね。
しかし、みんながみんな面白いっていってくれちゃあ、近年の朝ドラの評価の低さが悲しくなってきます。
マナカナや多部ちゃんがかわいそうじゃないかよお。
とも、思ってしまいます。

さて、ゲゲゲの女房も良いのですが、レレレのおじさんも忘れてはいけません。さらにはレレレの恐竜のことも。

え?なにそれですと?


こんなのですけど?

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なにこのファニーフェイス。
ホントにこんな恐竜がいたんでしょうか…
激動の中生代を生き抜けたのでしょうか…
ていうか、ホントに恐竜?

ただいま全国書店で絶賛発売中の学研「ほんとのおおきさ恐竜博」では、こんなポカンとしたやつが表紙です。

ニジェールサウルスっていいます。
普通、恐竜っていったらティラノサウルスじゃないのお?
とおっしゃるあなた、
あえての「レレレのニジェールサウルス」です。
ニジェール出身だからニジェールサウルスっていう、さいたまんぞうもビックリな直球ネーミングです。


実は、これワタクシが撮影とか編集とかした本です。
このBlog、趣味に走って仕事は抜きね!なんて考えていたのですが、参加クリエーター陣がこぞってご自身のBlogでPRするもんだから、見えないプレッシャーに負けて書くことにしました。

今…資本主義に魂を売り渡す……



とはいえ、自信を持ってお勧めできるので、書店で見かけたらのぞいてやってくださいまし。
本のサイズはでかいです。B4サイズ。
だって「ほんとのおおきさ」っていうだけあって、ページを開くと恐竜が実物大でのぞくのですから。でかくないと。

ま、表紙がこんなので、中も推して知るべし。
恐竜らしくなく、ゆるくかわいく仕上がっています。

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書店で見かけたらのぞいてやってくださいね。

児童書コーナーで、ボクと握手!
よろしくお願いいたします^^






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2010年06月12日

定吉七番はよみがえる

定吉七番をご存じだろうか?
東郷隆氏原作によるスパイ小説である。
大阪を中心とした関西経済を守るためには時に非合法活動も辞さない「殺人許可証を持つ丁稚」の物語である。
ここまで読んで「ん?」と思われた方は勘がよい。イギリスのイアン・フレミング原作のスパイ小説、007のパロディなのである。定吉は大阪商工会議所所属の丁稚。ジェイムズ・ボンドのDouble O ナンバーと同じく「定吉」はコードネーム。その一桁ナンバーを持つものが「殺人許可証を持つ丁稚」なのだ。

大阪商工会議所の最大の敵は関東圏の秘密結社。全関西人に納豆を食べさせようという狂気の集団NATTO。定吉は次々に襲いかかる危難を乗り越え事件を解決していくのだ。
このシリーズ、大きくは007シリーズのストーリー展開を踏襲している。そのスパイ物の舞台を「関西」を当てはめるだけでもおかしいのだ。さらにはコメディのゆるい部分と活劇の緊迫感が良い塩梅に混ぜ込まれていて、007を知らなくても楽しめ、知っていればなおさら愉しめる。
ご存じの方も多いと思うが007自体、社会風刺の小説である。風刺をパロディにするという二重構造がまた面白い。

今までに5冊の単行本が文庫で刊行されているが、現在では残念ながら絶版である。このシリーズ、1988年刊行の『太閤殿下の定吉七番』を最後に途絶えているのである。
当時は、コミックになったりゲームにもなったりした「そこそこの」人気シリーズであったので、今でも古書としては入手しやすい本と思われる。

なぜそんな絶版の本を今さら…と疑念を持たれるかも知れないが、それには相応の理由がある。
講談社の小説現代誌上においてシリーズ最新の物語が新連載開始となったのだ。
前出のゲーム化の折り、メーカーが「定吉」の商標をとったことで、続編が出せなくなったという理不尽な話もあり、ある大きな社会事件に関わるテーマで書いていた話が事件の顕在化で未完となっている1話もある。そんな中待ち焦がれていた最新作である。

しかし、まだ読んではいない。買ってはいない。書店で平積みの前に立ち、表紙を見ては結局手に取らない日が続いている。
既刊に関しては、年に1回はいまだ読みかえしているのであるが、時代背景はすでに「一昔前」である。殺人丁稚が包丁を武器に大暴れするには現代というものは世界が狭くなりすぎているのではないだろうか。携帯電話一つで推理小説もサスペンスも大きな構造の変化を余儀なくされている。情報によって、交通機関によって、世界は狭くなってきている。そんな懸念が読むのを躊躇させている。カムバックしたアスリートが衰えたの知るのはファンとしてつらいことがある。ただでさえ「待っていた時間」分の期待値が乗っかっているのだ。

とはいえ、面白い可能性だって十分すぎるほどあるのだ。しかも、読者が安穏と時を過ごしていれば単行本としてまとめて刊行されるのか?というと、それほどゆとりのある現代でもない。出版社も売り上げにはシビアである。買うべきか。そして1話が完結するまで買い置いて表紙を伏せておき、片目で表紙をにらみつつ、伸びようとする右手を必死にとどめる。というのもそそられるが、そこまで自分を苛める趣味はない。
しかし、単行本化の危険性を考えると、あとで完全に機会を逸し、悶え苦しむのだけは避けたい。読むか読まないかは買ってから考えよう。
あれも違う、これはどうか、などと読書戦略を立てながら書店で佇んでいるのは書店員の方にとっては不気味ではあろうが、それも本読みの楽しみである。

それほど執着するシリーズでありながら、大変残念な事ながら不思議とこの本と出会ったきっかけは憶えていない。
シリーズ第一作『定吉七番は丁稚の番号』を開いて奥付を見てみよう。
昭和六十年四月二十五日初版とある。
1985年、今から25年、四半世紀前である。時はバブルに向かって日本がおかしくなっていく前夜。昭和が終わり、浮かれた時代への移り変わりが背景にも描かれている。
元知事の政党代表が「なんとなくクリスタル」を書いていた時代というと、ほのかに時代を思い出す手助けになるだろうか。
表紙のシンプルなツートーンの上に乗った泉晴紀の描く定吉は目を引く物がある。高校生だった自分の行動から考えると、おそらくどこからかの情報を得て、というのではなく、書店で手に取ったのだろう。これほど長い付き合いになるとは思っていなかった。

このシリーズに関しては楽しい思い出がある。割と近年なのであるが、大阪の街をひとり歩く機会があった。天王寺から北まで、ひたすら歩いた。船場の問屋街、今宮戎、日本橋、千日前、お初天神、梅田。名所もそうでないところも。他の小説ではなく、なぜか街は定吉の舞台であった。
それが、このシリーズの大きな魅力だとも思う。舞台の急所をつまむ視点が良い。登場人物の個性と相まっていきいきと風景が目に浮かぶのだ。
いつか、何年後かにまた読んだとき、このときの思い出が鮮やかによみがえることだと思う。音楽にしろ、本にしろ、耳に目に入ったとたんに何かがよみがえることがある。そんなことも本の魅力だと思うのだ。

さて、このシリーズ、大阪スパイ物の最高傑作と言っても過言ではない。
もし皆さんが殺人丁稚が活躍する冒険活劇を求めるなら、これしかないと自信を持ってお勧めしたい。
故中島らも氏のエッセイなども合わせて読むと大阪の臨場感を高める手助けとなると思われる。併せて。

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シリーズ既刊
『定吉七は丁稚の番号』
『ロッポンギから愛をこめて』
『角のロワイヤル』
『ゴールドういろう』
『太閤殿下の定吉七番』

小説現代2010年6月号より連載
「定吉七番の復活 氷漬けの丁稚」
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2010年05月11日

直筆原稿版「オーパ!」開高健

巨匠の作品に出会ったのは「オーパ!」が初めてでした。
正確に言うと、巨匠の作品にのめり込むきっかけとなった作品です。

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まだ、アマゾンという場所が神秘のベールに包まれていたころ、作家は釣り竿を手にブラジルの地にありました。
巨匠はカメラマンとともにアマゾンに入り巨大魚を追い求めます。
美しく神秘に満ちた写真と、巨匠が文章に織り込む言葉の数々。その一言一言が、推敲され、吟味され、ひとつひとつの言葉がいくつもの意味合いを持って読むものを圧倒します。
本が、文章が、文字が繰り広げる物語を、この作品で知りました。そして、写真の持つおもしろさも。

作家は、ゲームフィッシュという、個人的な愉楽を商売の道具にしてしまったと恥じ入り、責める。釣りという小さな自然破壊を行いつつ、自然の衰退を嘆く。この相反する事柄の同居、矛盾という人生の妙味を始めて読んだときには、違和感と疑問を持ちました。
なのに、引き込まれました。
そして、何度も。
何度も読み返すたびに巨匠が表現したことが少しずつ自分の中で納得され、血肉となっていきました。
それは、いまだに続いています。そして、これからも続くことでしょう。

今の自分を築きあげているものに、大きく影響している作品のひとつです。

本書は、大判の「オーパ!」を、作者直筆の原稿用紙のまま印刷し、綴られています。
もちろん、文章は変わってはいませんが、開高健先生専用原稿用紙の上に、おそらくは愛用のモンブランで書かれた原稿には、校正の後も残され、手に取るものに、作者の息づかいを感じさせてくれます。

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ファンにとっては、まさに「愛蔵」するべき一冊です。



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2008年09月15日

Profoundly moved

先日紹介した本、「多摩動物公園のスーパーおばあちゃん オランウータンのジプシー」なのですが、本日献本に行ってまいりました。
献本と言っても、その渡す相手は他でもない。この本の主人公ジプシーさんなのです。
ジプシーさんは、なんにでも興味を持ち、遊びが上手で、心根のやさしいおばあさんオランウータンです。

そんなジプシーさんに多摩動物公園さんと著者の黒鳥さんがジプシーさんへの感謝をこめて「贈呈式」を行ってくれたのです。素敵な人生を歩んできたおばあさんの自伝を仕上げ、はじめて渡す。そんな感じです。
贈呈の方法は運動場に本を置いてジプシーさんが取りにいくというものです。

しらせを受けて僕は楽しみにして出かけていきました。
3連休の中日、動物園はたくさんの人でにぎわっていました。
オランウータン舎の前で、いっしょにこの本を作ったKさんと合流。
「これでジプシーさんがあまり興味を示さなかったら、しまらないなあ。」
なんて話をしながら待っていました。

午後1時半頃セレモニーが開始。
著者の黒鳥さんが、運動場にあらわれて、本へ「ジプシーへ」とサインを書き、退場しました。
続いてゲートが開き、本日の主役ジプシーさんが運動場に入ってきます。

すぐに、ちょっとした僕の心配は、まったく必要なかったことがわかりました。
ジプシーさんはまっすぐに、本まですたすたと歩き、手に取ってくれたのです。
ジプシーさんは、以前から雑誌を渡すと、ていねいにページをめくって読むことが好きでした。
その後に好きなページだけ、器用にきれいに切り取って持ち歩いたりするのです(特に好きなのは、ファッションのページです。ちなみに好きな色はピンクです)。

でも、ゲートからは見えない位置にある本に、どうしてジプシーさんが気づいたのかは不思議です。きっと、黒鳥さんが何かを置いたこと、そして、それが自分へのプレゼントということは感じていたに違いありません。ジプシーさんは、そういう才能を持っているのです。

ジプシーさんは、表紙を眺め、すぐにページをめくりだしました。まるで読んでいるように。ではなく読んでいるのです。もちろん文字がわかるわけではありません。そこに書いてある文字や絵に興味を持って本を読んでいるのです。

いつもは、ある程度で手を離してしまうことが多いのですが、今日は手放す様子はありません。ページを切り取ることもしません。
ずっとながめてはページをめくり、ながめてはまたページをめくります。
まるで、自分が主人公の本だって分かっているかのように。
不覚にも涙が出てきてしまいました。
今までもできた本を渡したことは数あれど、こんなことははじめてです。
ただ純粋に楽しんで作った本を読んでくれる姿がうれしく、感動したのだと思います。作ってよかった。

まわりにはたくさんの人がいて、盛り上がっています。
本を読んでいると知ってよろこぶ子どもたち。頭いいねえという大人たち。
みんなジプシーさんの姿をよろこんでくれています。
「あれ、彼女が主人公の本なんです。」って言いたかったのだけれど、言いながら泣いてしまいそうで、心の中で言うにとどめました。だって、大の男がでかいカメラをかまえながら、泣いて話しかけてきたら、だれだって驚くでしょうから。

ジプシーさんは、お気に入りの麻袋をかぶって寝そべって読み、はたまた子どもたちの前に持っていってページをめくります。記念にサインをと、黒鳥さんが投げ入れたペンでカバーの裏にいろいろ描いたりもしました。
結局、ジプシーさんは閉園時間まで本を持ち歩き、黒鳥さんが部屋に戻るように言うと、なんと本を手に持ち大事そうに抱えて帰っていったのです。こんなことって今まで無かったそうです。その、いそいそと帰っていく後ろ姿に、また涙が込み上げてきました。
黒鳥さんも「今日はジプシー、本当に楽しかったんだと思う。」とおっしゃっていました。

編集という仕事は裏方で、本ができる前までが編集者のもので、作った本はできた瞬間から著者のものとして、あるいは出版社のものになり書店に巣立っていきます。こちらにくる評価や感想は、売り上げ部数というドライなものだったり、「お疲れさん」の一言だけだったりします。
だから著者のひとりと言ってよく、いちばんの読者であるジプシーからストレートな喜びを感じたことは草の者として本当にうれしかった。
ジプシーのために作った本で、純粋に純粋に、彼女が欲も得もなく楽しんでくれたこと、編集者冥利に尽きる仕事ができて本当によかったと思いました。
こうした一瞬のために、こんなによろこんでくれる人のためにこそ「泣ける仕事」がしたいものです。こんな感動を与えてくれる彼らのことを伝えるすべを模索して本をつくり、写真を撮っていますが、ますます彼らのために、と思った次第でございます。

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posted by taka@porcupine at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 本のこと